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このため「書聖」とまで呼ばれた彼らやその流儀を受け継いだ人々の書を学びたいと思う書家は多く、その複写・複製である[[法帖]]の制作が強く求められた。しかし写真もコピーもない当時、紙にしたためられている文字を写し取るには原本を見ながらの模写しか方法がない上、文献と違って書蹟は「文字の形」が重要なため、写すからにはそれ相応の技巧が必要になり、とても誰にでも出来るというような仕業ではなかった。
 
この問題を解決するために生まれたのが、「搨模」(とうも)と呼ばれる方法である。これは「双鉤填墨」という方法を用いるもので、まず写したい作品の上に紙をかぶせ、文字の輪郭だけを細く写し取り、その上で中を黒く塗りつぶすという一種のなぞり書きであった。この技術の開発により、あまり技術のない人でも気軽にやり方さえ覚えれば模写が出来るようになり、技法を極めれば真筆と見まがうような模写を行うことも可能になったのである。
 
しかしこの方法は、非常に時間がかかり少部数しか作れないうらみがあった。また転写された先も紙なので、保存性も決してよいものではない。さらに[[唐]]代には[[書道]]が極めて盛んになり、多くの名書家が輩出され多量の書蹟がものされたため、このような非効率なやり方で複写していてはとても間に合わない。そこで考え出されたのが、石や木に媒体変換を行う模刻であった。