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== 略歴 ==
 
 [[スコットランド]]の[[エディンバラ]]で生まれる。本名はロデリック・エヴァンス。少年時代に[[ロックンロール]]に興味を持ち中学を卒業後[[ロンドン]]へ旅立つ。[[1965年]]にメイズというバンドに参加した彼は後に[[ドラマー]]として加入してきた[[イアン・ペイス]]と出会う。メイズは何枚かの[[レコード]]を発売するが成功しなかった。後に彼はイアン・ペイスと共に[[ディープ・パープル]]の前身であるラウンドアバウトのオーディションを受け同グループへ加入する。
 
 [[1968年]]、ディープ・パープルのヴォーカリストとしてメジャーデビューした。『ハッシュ』などのヒット曲にも恵まれ、3枚のアルバムをリリースしたが、やがてハードロックを指向するバンドメンバーとすれ違うようになり、わずか1年で解雇されてしまった。
 
その後、エヴァンスは[[キャプテン・ビヨンド]]という自身のバンドを結成。アルバムを2枚発表して高い評価を得たが、アメリカでのセールスが振るわず、商業的には苦戦を強いられた。またメンバーも定着せず、自らも脱退するなどをし、バンドは軌道に乗らなかった。
 
 [[1977年]]、再びキャプテン・ビヨンドのメンバーが集まってアルバムを1枚出したが、ここにエヴァンス姿はなかった。
 
 [[1980年]]、エヴァンスはロック史に残る無様な事件を起してしまう。それはいわゆる「偽ディープ・パープル事件」である。エヴァンスはこの当時解散状態にあったディープ・パープルの名前を使用し、無断で活動を行ったのである。
エヴァンスはメンバーによく似た見た目のマイナーミュージシャンを集め、[[新聞]]に広告を載せ、アメリカで[[コンサート]]を開いた。たしかに彼はディープ・パープルのオリジナル・メンバーには違いないが、誰からも許可を得ていなかった。また、コンサートでは自分が在籍した時期のものでない人気曲(『スモーク・オン・ザ・ウォーター』『ハイウェイ・スター』)などを数多く採り上げたこともあり、実体としては単なる偽者に過ぎなかった。
公演中にそう気付いた観客は激怒し、ビンをステージに投げつけるなどをしたという。こうしたコンサートは数回行われたが、ディープ・パープル側のスタッフが広告などで虚偽を知らせる表明をし、騒動は終局した。
 
 ただし、この事件について「ロッド・エヴァンスは他者に利用された」という声がある。伝えられる処では、この計画を企図したプロモーター達は以前にも偽[[ステッペンウルフ]] ([[w:en:Steppenwolf (band)|Steppenwolf]]) の件で訴訟を起こされているような者たちであり、偽ステッペンウルフのメンバー数人はそのまま偽パープルにも参加していた。彼らはディープ・パープルの名前を使おうと考え、まず[[ニック・シンパー]]を引き入れようとしたが断られた。しかし次に声をかけられたエヴァンスは結果的に加担した…というのが真相であるとされている。つまりロッド・エヴァンスは、その「愚かな行為」に対する責任は免れようが無いとしても、少なくとも主犯ではない、という見解である。だがいずれにせよ、その後、ロッド・エヴァンスは[[裁判]]で敗訴し、同様の活動を禁じられるだけでなく、自分が関わったディープ・パープル時代の[[印税]]所得権利の一切をも剥奪されてしまったと伝えられている。この事件後、彼はロック界の表舞台から消え、それっきりどのような活動をしているかは定かでない(なお、英語版の記事によると、現在はサンフランシスコに在住し救急医療師の仕事をしているらしい)。
 
しかし、皮肉にもこの事件によって元メンバー(2期)の間に結束が生まれ、それがディープ・パープル再結成へと繋がっていくことになったとも言われている。したがって、あくまでも結果論ではあるが、そうした意味では、エヴァンスはディープ・パープル再結成に貢献したとも言える。