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ÅskollenとSkogerveienに残る石窟芸術は紀元前5000年から7000年頃のものである。これらがこの谷に人が定住していた証となる。Åskollenには[[ヘラジカ]]を描いた壁画がある。
 
ドランメンの発祥は、3つの小さな港からなる。ドランメンセルヴァ川北岸のブラゲーネス、ストロムソ、南岸のタンゲンである。交易が発展するにつれ、港は商業都市の一部となった。3つの港が非常に近いにもかかわらず、ブラゲゲーネスはクリスチャニア(オスロの古名)に含まれ、ストロムソは[[トンスベル]]の一部であった。これは、近接した港都市の連携が不可能だったことを物語る。1662年、合併によりストロムソとブラゲーネスがフレゼリクストロムという名の商業市となった。この申し出は[[デンマーク]]王[[フレデリク3世 (デンマーク王)|フレデリク3世]]によって拒否された。ブラゲーネスは1715年に限定付きの商業市となった。ストロムソとの合併は1811年6月19日に一つの市となった時に同時に行われた。
 
その特色ある地理条件から、市は旅客業、造船業、丸太運搬、材木取引が19世紀から行われてきた。現在は製紙業とパルプ生産も行われる。1960年代の間に、ドランメンセルヴァ川沿いのパルプ及び製紙工場は閉鎖された。