「地租改正事務局」の版間の差分

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[[1873年]]より、[[大蔵省]]租税寮を中心として地租改正の作業が本格的に進められていたが、同年11月に大蔵省から分離する形で[[内務省]]が創設されたところ、土地の[[測量]]などを扱った部門が大蔵省から内務省に分離されるなど所謂「縦割り」の影響によって事業の停滞を招いた。そこで、地租改正を一括して扱う専門部局を設置することとした。
 
1875年、大蔵・内務両省からスタッフを集めて地租改正事務局設置され、[[4月29日]]に事務局総裁に[[内務卿]][[大久保利通]]、御用掛(次席)に[[大蔵卿]][[大隈重信]]が就任し、[[大蔵少輔]]兼租税頭[[松方正義]]が局長に就任した。
 
同局は地方当局に対して指示を出すとともに、地方当局からの問い合わせに答え、更に職員を各地に派遣して、測量や地価算定の直接指揮・指導することによって地租改正事業の促進を図った。[[1880年]]までには大半の土地の地租改正事業を終えて[[地租|新税]]への切替を終えたことから1881年6月30日をもって廃止されて、事実上の地租改正終了が宣言され、残務は大蔵省租税局(旧・租税寮)に継承された。残された一部の山林などでの作業も翌[[1882年]]までに完了した。