「ウォルター・フライ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
SuisuiBot (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
m リダイレクト回避:ヘンリー8世 (イングランド王)
2行目:
'''ワルター・フライ'''('''Walter Frye''', [[1474年]]没?)は、[[15世紀]]に活躍した初期[[ルネサンス音楽]]の[[作曲家]]。[[イングランド]]出身。生涯については何も知られていない。[[エリー大聖堂]]において[[1443年]]から[[1466年]]まで「先唱者ワルター "Walter Cantor" 」として記載され、[[1456年]]に[[ロンドン]]教区[[司祭]]に転出した人物と同一である可能性がある。[[1474年]]に[[カンタベリー]]で[[遺言]]を残した。
 
フライは作品の大半が筆写譜として大陸側で保存されていることから、研究者から生涯のほとんどを[[ヨーロッパ]]で過ごしたと見なされている。とはいえ作曲様式的に見ると、フライの作品は[[ブルゴーニュ楽派]]の手法よりも、むしろイングランドの作曲家の手法に近い。なぜ大陸側でフライの作品が数多く現存するのかというと、15世紀イングランドの写譜は数少ない上、めったに作曲者名について触れておらず、そのため大量のフライ作品が作者不詳として伝承されてきた見込みがあるからである。イングランドで保存されてきた作品数が少ないのは、[[1536年]]から[[1540年]]まで[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]によって強行された[[修道院破壊運動]]のなれの果てである。
 
フライ作品には、[[ミサ曲]]や[[モテット]]のような[[宗教曲]]と、[[バラード]]や[[ロンドー]]のような世俗曲の両方がある。すべて声楽曲であり、代表作であるモテット《[[サルヴェ・レジナ]]》の筆写譜には、同時代の[[挿絵]]が添えられている。ロンドー《 ''Tout a par moy'' 》やバラード《 ''So ys emprentid'' 》のような世俗歌曲は、しばしばイタリアから[[ドイツ]]南部から[[オーストリア]]や[[ボヘミア]]にまで流布している。これらの歌曲はしばしば筆写され、編曲されたり盗作されつつ、さまざまな曲集において色々なかたちで伝承されている。