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[[近江商人]]の家系に生まれ、幼時より[[上村松園]]や[[竹内栖鳳]]などの作品に接して育つ。また、[[須田国太郎]]を近い親戚に持ち、若いころ彼の[[アトリエ]]に入り浸っていたこともある。
 
[[同志社大学]][[法学部]][[政治学科]]を[[卒業]]する直前、24歳のとき、自宅に[[下宿]]していた佐藤身紀子と恋仲になったことがきっかけで、身紀子の父[[佐藤喜一]]の経営する[[福音館書店]]の編集者となった。のち身紀子は妻となる。
 
このとき実験的に作った「福音館小辞典文庫」シリーズが成功を収めたため、翌[[1952年]][[2月]]、佐藤と共に正式に福音館書店を発足させた。佐藤は[[社長]]、松居は編集長だった。
 
以後、自らの美術的素養の深さを生かして、当時無名だった[[いわさきちひろ]]・[[初山滋]]・[[田島征三]]・[[安野光雅]]・[[堀内誠一]]・[[長新太]]などの才能を発掘した。子供の絵と大人の絵が截然と区別されていた時代だったにも拘らず、児童書に[[秋野不矩]]・[[朝倉摂]]・[[佐藤忠良]]・[[丸木俊]]・[[堀文子]]といった当代一流の画家たちを起用したのも松居の見識による。作家に対しても、デビュー後さっぱり売れていなかった[[寺村輝夫]]の原稿を二度も没にし「あなたが面白いと思うものを書いていいんですよ」と開眼させ、「ぞうのたまごのたまごやき」つまり後の大人気作『[[ぼくは王さま]]』を生み出す手助けをした。
 
[[1968年]]、福音館書店社長に就任。社長就任後まもなく、[[東洋英和女学院短期大学]]保育科の[[非常勤講師]]となり、以後[[1993年]]まで多くの[[大学]]で[[児童文学]]や絵本論を講義。
 
[[1986年]]、会長に就任、退任後は相談役。[[児童文学研究者]]としての著作も多い。NPOブックスタート理事長、財団法人大阪国際児童文学館理事長。
 
==家庭==