「李玄霸」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
経済準学士 (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
編集の要約なし
1行目:
'''李 玄覇'''(り げん、[[599年]] - [[614年]])は、[[唐]]の高祖[[皇族]]。初代[[皇帝]][[李淵|高祖李淵]]の子。[[字]]は'''大徳'''。隠太子の[[李建成]]と秦王・[[太宗 (唐)|李世民]](太宗)の同母弟で、斉王・[[李元吉]]の同母兄である。生母は竇皇后。[[爵位]]は'''衛王'''で[[諡号]]は'''懷'''大徳
 
彼は生まれつき病弱幼いころから聡明能弁であった。[[614年]]([[大業]]1610年)に17歳の若さで早世した。[[618年]]、衛王に追封され、秦州総管・[[司空]]の位を追贈された。諡は懷といった。
 
彼に子はなかったので、甥の魏王・[[李泰]](太宗第4子)その養子に宜都王となったと[[新唐書]]に記されその祭祀を継
 
 
その後は、李泰の子である西平王・[[李瓊]]と[[李保定]]父子まで続いたが、李保定に嗣子がないために、衛国はついに
== 古典小説中の李玄霸 ==
断絶したという。
『[[説唐]]』などの古典小説中では、李玄霸は「李元霸」と作られた。甘泉関に集結した十八反王百八十万の軍勢に対してわずか一騎で戦って勝利を挙げた猛将として描かれる。隋唐十八好漢の筆頭とされる。
==関連人物==
 
*[[李建成]]
 
*[[太宗 (唐)|李世民]]
== 伝記資料 ==
*[[李元吉]]
* [[旧唐書]]巻六十四列伝第十四衛王玄霸伝
* [[新唐書]]巻七十九列伝第四衛王玄霸伝
 
[[Category:599年生|りけんは]]
[[Category:614年没|りけんは]]
[[Category:中国史の人物|りけんは]]
[[Category:唐代の人物|りけんは]]