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Shalmaneser (会話 | 投稿記録)
de:Telipinu24. November 2007 um 09:37 Uhr 版の翻訳に基づき作成。別の用例を併記
 
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そのほかテリピヌはフルリ人と戦って[[カルケミシュ]]の北側を征服し、[[歴史的シリア|シリア]]への途次にあたる南の隣国[[キズワトナ]]への遠征を行った。テリピヌはその王イシュプタフシュシュと同盟条約を結んだが、これは現存するヒッタイト最古の同盟条約である。ただし条文は部分的にしか残っていない。ハッシュワ、ラワツァンティヤ、ツィッツィリッパなどの都市もヒッタイトの影響下に入った。彼の即位時には先祖の[[ハットゥシリ1世]]や[[ムルシリ1世]]による遠征で得られた地はほとんど失われていたが、一部を回復することが出来た。
 
テリピヌの晩年はよく分かっていない。跡をいだ者に指名したのは娘婿の[[アルワムナ]]ともだったが実際に即位したのはタフルワイリだったうが、われる。後者は上記の「金の槍持ち」タフルワイリと同一人物と思われ、アルワムナはタフルワイリを倒した後に即位できたとみられる。結局テリピヌの後も王位をめぐる争いは止まなかったようである。テリピヌののち、混乱状態になるためか文字史料はきわめて乏しくなる。ヒッタイト史を古王国・新王国と二分する時代区分法と、古・中・新の三期に分ける時代区分法があるが、三期区分の場合は割合事績のはっきりしているテリピヌを以って古王国時代最後の王としている。
 
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