「サルタン (競走馬)」の版間の差分

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2歳時にジュライステークスに勝利し、8歳でトライアルに勝つなど息の長い活躍を見せた。[[クラシック (競馬)|クラシック]]競走こそ[[ダービー (競馬)|エプソムダービー]]でテイレシアスの2着、[[セントレジャーステークス]]は人気での惨敗と勝利にはいたらなかったものの、5歳時にニューマーケットゴールドカップ、6歳時にエプソムダービー馬グスタヴスとマッチレースを制すなど合計14勝をあげた。ニューマーケット競馬場は得意で、勝ち星の多くがニューマーケットでのものであった。
 
引退後はバーレイのマーカススタッドで種牡馬入りしている。産駒の[[ベイミドルトン]]は無敗で[[二冠馬|二冠]]を達成し、[[グレンコー (競走馬)|グレンコー]]も種牡馬として成功した。特筆すべきは[[2000ギニー]]馬を5頭輩出したこと、産駒の勝ち数として同レース最多である。[[リーディングサイアー]]には1832-37年の6年に渡り輝いており、この時代をリードしていた。父方直系子孫はその後微衰したが、[[トウルビヨン (競走馬)|トウルビヨン]]を通して現在にもつながっている。
 
== 主な産駒 ==