「郵便馬車」の版間の差分

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=== 旅 ===
メールコーチは当初、運転手席が外側で中に4人が乗車するようデザインされていた。郵便の輸送だけではなく同時に乗客を乗せたのだった。コーチ内でただ一人の郵便局員である監視役は後部外側におかれた郵便物箱のとなりに位置した。後により多くの乗客が乗車できるようになったが運転手と並んで客室外に座らねばならなかった。コーチは悪路を走行したため客室内でもその旅は快適とは言いがたく、また、坂道を登るときには乗客は車両から降りたものだった([[チャールズ・ディケンズ]]が[[二都物語]]の冒頭で記述している)。コーチは夏は平均7〜8mph(11〜13km/h)、冬は平均5mph(8km/h)で走行した。[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ビクトリア女王]]時代になると道路が改善され10mph(16km/h)くらいまで出せるようになった。馬は10〜15マイル(16〜24キロ)毎に馬屋(ステーブル:Stable)で別の馬と交換した<ref name="PO" />。郵便を収集するための停車は短時間で、走行しながら郵便物を監視役が投げ出し郵便局からひったくるようにして受け取ることで停車しないこともあった。
 
旅費は長距離移動用途に通常用いられた(日本で駅馬車と訳される)[[ステージコーチ]]よりも、メールコーチでは1マイル当たりおよそ1d(1古ペンス)高かった。しかし快速であり概して込み合わずまた清潔だった。ステージコーチでは混雑が常態化しており、重心も高くなり転覆の危険性も高かった。メールコーチには乗客数および荷物数に制限があった。メールコーチでの旅はほとんどが夜間だった。夜間は道がすいていてより速いスピードをだせたためである<ref name="BS" />。