「寺廻太」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
9行目:
 
[[2005年]]全日本女子の[[竹下佳江]]・[[菅山かおる]]らが所属する、Vリーグ女子[[JTマーヴェラス]]の監督に就任、初めての女子チームの監督に戸惑い、第12回Vリーグでは下位に沈んだ。しかし2006-07、第13回[[プレミアリーグ (バレーボール)|Vプレミアリーグ]]では、さすがの手腕を見せチームを決勝ラウンドに導いた。決勝では久光製薬に激闘の末敗れ初優勝を逃し、[[柳本晶一]]に次ぐ2人目の男女チーム優勝監督という偉業は、相手の[[真鍋政義]]にさらわれた。日本バレーの復活に大きな期待が寄せられる指導者の一人である。
 
==全日本男子監督時の不運==
*史上初[[近代オリンピック|五輪]]出場できなかった直後でかなりの注目だったが、何故か協会は[[バレーボールワールドリーグ|ワールドリーグ]]の参戦や国別対抗戦(例・日ロ対抗や日米対抗)を組まず、利益目的の紅白戦が多く強化にならなかった感があった。
*こうした経緯があり[[1998年]]の[[1998年バレーボール世界選手権|世界バレー]]では開催国でありながら、2次リーグ敗退(いわゆる順位決定戦に進めなかった)大会終了後、強化委員会の中で当時[[テレビ]]解説を行っていた[[大古誠司|ミュンヘン五輪金メダリスト]]から'''ミュンヘンの栄光に泥を塗った'''といわれかなり悔しい思いをした。
*選手の入れ替わり例年以上激しくなかなか固定しなかったのも原因の一つといわれている。
 
== 外部リンク ==