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[[1952年]]([[昭和27年]])、第2回[[NHK紅白歌合戦]]の紅組司会者にもなる。 1950年代から70年代にかけて、[[東宝]]、[[新東宝]]、[[日活]]、[[東映]]などの映画に数多く出演。 テレビでも活躍し、『[[日曜娯楽版]]』、『[[渥美清の泣いてたまるか]]』、『[[23時ショー]]』、『[[だから大好き!?]]』(ジロウの母)、『[[独占!女の60分]]』 等に出演、同年代の大物女性タレントである[[清川虹子]]、[[水の江瀧子]]らと同様、歯に衣着せぬ毒舌を展開しコメンテーターとしても活躍、長らく芸能界の一線で活躍を続けた。
 
しかし、1970年代後半以降は、長年の持病である[[糖尿病]]が悪化、[[失明]]の危機に悩まされ(そのため、この頃から眼球を保護するためにサングラスを着用してテレビ番組に出演することが多くなった)、その治療のために入退院を繰り返すようになり、[[1983年]]、にはレギュラー出演していた『独占!女の60分』も降板同時に事実上芸能活動からも引退し、表舞台から姿を消した。
 
1998年(平成10年)5月4日、[[心不全]]で死去。享年78。