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Hasi (会話 | 投稿記録)
モラヴィア王国の君主
(相違点なし)

2007年12月25日 (火) 15:35時点における版

ラスチスラフ(Rastislav、?-870)は、モラヴィア王国の第2代君主。ロスティスラフとも表記する。

ラスチスラフ

初代モイミールの死後、846年に王位についた。モイミールがカトリックを受容する姿勢をみせたのに対して、ラスチスラフは東フランク王国との対抗上、ブルガリアビザンツ帝国などと接近した。また、カトリック化を通じて東フランク王国に従属することを懸念して、ビザンツ帝国に宣教師の派遣を依頼した。これによって派遣されたのがキュリロスメトディオスの兄弟であり、王国内におけるギリシア正教の浸透を図った。この際に布教の必要性からグラゴル文字が作成された。

東フランク王国と結んだ甥のスヴァトプルクによって失脚に追い込まれた。

参考文献

  • 南塚信吾編 『新版世界各国史19 ドナウ・ヨーロッパ史』 山川出版社、1999年