「王鳳 (更始)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
M
火扇 (会話 | 投稿記録)
44行目:
その後、連合軍においては、劉縯と平林軍出身の[[劉玄 (後漢)|劉玄]]とのいずれを天子として擁立するかが、諸将の間で議論となった。この際に、南陽の士大夫(舂陵の諸将など)と王常は劉縯、王鳳らその他の諸将は劉玄を推している。結局劉縯は、分裂を避けるために、劉玄にその地位を譲った。こうして[[更始 (漢)|更始]]1年([[23年]])2月、劉玄は'''更始帝'''として即位し、王鳳は成国上公に封じられた。
 
同年、王鳳は昆陽方面で、[[司空|大司空]][[王邑]]、[[司徒|大司徒]][[王尋]]が率いる新の主力部隊と戦ったが、昆陽城に立て篭もっていた際に新軍に包囲され、圧倒的兵力差に恐怖して降伏しようとする。しかし、新軍に降伏を拒絶されたため、王鳳は必死で防戦し、その後、劉秀の救援により何とか危地を脱出した。
 
更始2年([[24年]])2月、更始帝が[[長安]]に遷都すると、王鳳は宜城王に封じられた。しかしこれを最後に、王鳳は、史書から姿を消している。
 
== 参考文献 ==
*[[范曄]]『[[後漢書]]』列伝第一「劉玄伝」