「リマのローザ」の版間の差分

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日々の断食は食事からの精進を絶え間なくしていた。彼女の毎日は慈善行為と生産活動に占められていた。ローサは周囲にいる病人や空腹の人々を助けた。彼女は自宅へ彼らを連れて行ったり、世話をした。ローサは自分の精巧な縫い物や育てた美しい花を売り、それらを家族を助けるために市場へ持っていった。彼女の繊細なレースと刺繍は家計を助け、夜は祈りを捧げ、ローザの建てた小さな洞穴で苦行をした。彼女は神聖な七聖礼典で訪問するためだけに、洞穴に隠遁するようになった。
 
1597年、彼女は[[堅信]]でローサという名をもらった。12歳のときに[[ドミニコ会]]にひかれ、1602年に持参金なしでドミニコ会の[[修道院]]へ入ることを許された。彼女は習慣を身につけ、永久の貞節をい修道会へ入った。 その後彼女は過酷さと英雄的な苦行の種類を増し、定期的に鉄製の鋲が打たれた冠を被り、バラで身を隠し、ウエストに鉄製の鎖を巻いた。食事なしに日々を過ごし、苦い薬草の混じったひどく苦いものを飲んだ。彼女がもはや立っていられないとき、彼女は自分で砕いたガラス、石、陶器の破片や針の寝床をこしらえ、その上に座り直した。横たわることは恐怖でおののくことと考えていたのである。
 
休むことなしに14年間の自己犠牲を続け、31歳で亡くなるまで恍惚のへだたりをもった。彼女の葬儀にはリマ中の全ての公の人々が出席し、[[大司教]]は聖堂内で彼女の賛辞をのべた。