「ミカエル2世アンゲロス・コムネノス」の版間の差分

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妻テオドラ・ペトラリフィナ(Θεοδώρα Πετραλιφίνα)はエピロスの有力貴族[[ヨハネス・ぺトラリファス]]の娘。四男三女が生まれた。
*女子(個人名不明)  アレクシオス・ラウルの妻
*'''[[ニケフォロス1世 (エピロス専制公)|ニケフォロス1世]]'''
*ヨハネス(Ιωάννης)  東ローマ宮廷に預けられ、武将として活動。後、[[1280年]]に目潰しの刑を受け、直後に自殺。
*デメトリオス-ミカエル(Δημήτριος-Μιχαήλ)  デメトリオスは幼名。後、父ミカエルが東ローマ皇帝ミカエル8世の宗主権を承認した際にいわば人質の形で[[コンスタンティノポリス]]宮廷に預けられ、ミカエル8世の娘アンナ・パレオロギナと結婚し、義父の名を貰い受けてミカエルと改名すると共に専制公称号を与えられた。[[1304年]]、[[ブルガリア帝国|ブルガリア皇帝]][[トドル・スヴェトスラフ]]との通謀に問われ失脚。
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*'''[[ヨハネス1世ドゥーカス]]'''  庶子