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'''公友倶楽部'''(こうゆうくらぶ)とは、[[大正時代]]に存在した[[政治結社]]。
 
[[憲政本党]]の内紛によって政界を退いて[[早稲田大学]]の経営に専念していた[[大隈重信]]が、[[1914年]]に[[第2次大隈内閣]]を組閣すると、早稲田大学関係者の間で大隈支援の動きが広がった。彼らは'''大隈伯後援会'''(おおくまはくこうえんかい)を組織した。[[1915年]]の[[第12回衆議院議員総選挙]]では、大隈の養子・[[大隈信常|信常]]が[[群馬県]]第1区で当選したほか、各地で勝利議席を獲得した。
 
その後、大隈伯後援会所属者は、大隈内閣支持の無所属議員らと合同して'''無所属団'''を旗揚げし、[[立憲同志会]]・[[中正会]]とともに[[与党]]の一翼を担った。1915年[[12月27日]]に無所属団は'''公友倶楽部'''と改称した。大隈信常の他、[[頼母木桂吉]]・[[高木正午]]・[[下岡忠治]]らが所属した。