「カール・ミクリ」の版間の差分

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'''カロル・ミクリ'''('''Carl Mikuli''', {{lang|ro|'''Carol Miculi'''}}, [[1819年]][[10月20日]]、オーストリア領[[ブコビナ|ブコヴィナ]]・[[チェルニウツィー|チェルニョフツェ]] - [[1897年]][[5月21日]]、[[リヴィウ|ルヴフ]])はブコヴィナ出身の[[ポーランド]]の[[ピアニスト]]・[[指揮者]]・[[作曲家]]・音楽教師。[[ポーランド語]]では'''カロル・ミクリ'''('''Karol Mikuli''')だが[[ドイツ語]]風の表記で知られている。[[ポーランド人]]のほかに、彼の生地に多く住む[[ルーマニア人]]、[[アルメニア人]]の血も引く。
 
[[フレデリック・ショパン|ショパン]]の弟子で、後にその助手を務めた。こんにちでは演奏家としての活動よりも、'''「ミクリ版」と呼ばれるショパンの校訂譜'''([[1879年]]、[[アメリカ合衆国|米国]]では[[1895年]])'''の作成者'''として有名。著名な門人に[[モーリツ・ローゼンタール]]と[[ラウル・コチャルスキ]]がおり、孫弟子に[[ワンダ・ランドフスカ]]や[[ミェチスワフ・ホルショフスキ]]、[[ステファン・アスケナーゼ]]がいる。
 
ミクリ版の楽譜は、[[#関連書籍|1]]に示したように、ドーヴァー・パブリケイションズから復刻されている。ミクリの目標は、序文において述べているように、作曲者自身が書いたか、もしくは修正した資料を用いて、信頼できる版を作ることにあった。ミクリは、ショパンがレッスンの際に述べた発言を詳しくまとめ、権威ある音楽家たちにショパンの演奏がどのように映っていたかをインタビューしている。