「ジェフリー・オブ・モンマス」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
ごく
Toroia (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
1行目:
[[Image:Cotton Claudius B VII f.224 Merlin Vortigern.jpg|right|thumb|250px|自分の預言を読み聞かせるマーリン。ジェフリー・オブ・モンマス著''マーリンの預言''より]]
'''ジェフリー・オブ・モンマス''' ('''Geoffrey of Monmouth''' , ウェールズ語表記:'''Gruffudd ap Arthur''' または '''Sieffre o Fynwy''' , 1100年頃 - 1155年頃)は、[[イングランド]]の聖職者。中世イングランド史家の一人で、[[アーサー王伝説]]で知られる。彼の作品のほとんどは歴史を題材としたロマンチックなフィクションである。
 
==生涯==
ジェフリーの出生地は不明である。しかし、彼は[[ウェールズ]]の[[モンマス]]で、[[ブリトン人]]の子孫として生まれたとされている。彼の名前から推測するに、彼がモンマスとつながりがあったことは間違いがない。『ブリタニア列王伝』(Historia Regum Britanniae)文中でCaerleon(現在ウェールズの村)の記述を、熟知しているよう示唆しているのである。彼は[[オックスフォード大学]]で学び、そこで助祭のウォルター・オブ・オックスフォードと出会った。1152年2月21日、[[カンタベリー]][[大司教]]テオバルドは、10日前に聖職を授けたジェフリーに、セント・アサフ司教として叙階した。『彼がかつて訪れて、その目で見たという証拠は何もない。』と、文献学者ルイス・ソープは述べている。『実際は、[[オーウェン・グウィネズ]]の戦いが、ほとんどありそうにもないこの話をつくったのだろう。』 <ref>From the introduction to his translation of ソープによる翻訳に付された序文より。''The History of the Kings of Britain'' (London: Penguin Books, 1966), p. 12.</ref> ジェフリーは、1129年から1151年までの間に6つの別々の特許状があることから実在が証明されている。彼の没年は、ウェールズの年代記に記載がされている。
 
==著作==
ジェフリーは興味深い著作を書いた。最も古いものの一つは『マーリンの預言』(''Prophetiae Merlini'')で、1135年以前に彼が数カ所書いたとされている。ジェフリーは、初期の頃の[[マーリン]]の仕事だとして黙示叙述のシリーズをしている。ちなみにマーリンは、ジェフリーの著作が出るまでは"Myrddin"の名前で知られていた。<ref>The Welsh scholar ウェールズの学者レイチェル・ブロムウィッチ(Rachel Bromwich observed that this "change from medial '')は、「dd'' > ''l'' is curious. It was explained by Gaston Paris as caused by the undesirable associations of the French word への変化」は奇妙なことだと言っている。[[ガストン・パリス]]は、フランス語''merde''". との好ましくない関連の結果である、と説明した。(Bromwich, ''Trioedd Ynys Prydein: The Welsh Triads'', second edition [Cardiff: University of Wales, 1978], p. 472 n.1.)</ref> ウェールズ語以外の言語でこの伝説的預言についてされた本は、これが初めてであった。数世紀後に出た[[ノストラダムス]]の大予言と同様に、広く読まれ、そして事実だと信じられた。
 
次に現代の読者に最もよく知られる『ブリタニア王列伝』である。ブリテン史を物語っていると主張されているもので、[[トロイ]]の英雄[[アエネアス]] の子孫、トロイのブルータス・オブ・トロイによる最初の移住から、7世紀のグウィネズ王Cadwalladerの死、[[ユリウス・カエサル]]のブリテン島侵攻、[[リア王]](後世に[[ウィリアム・シェイクスピア]]の戯曲によって不朽の名前となる)とCymbeline王、そして最も初期に記載された物の一つであるアーサー王の話が綴られる。文中、彼は多くのブリテン王たちの立身出世と凋落の概を述べ、その中にアーサー王と彼の父親Uther[[ウーゼル]]の記載がある。ジェフリーはウェールズ語で書かれた古い文献から翻訳したと主張している。この主張の一部は真剣である。元になっているのは9世紀のウェールズ=ラテン史編纂書ヒストリア・ブリトヌム、[[ベーダ・ヴェネラビリス]]のイングランド教会史、ギルダスの6世紀の論争''De Excidio Britanniae''などが元となり、ウェールズ伝説、系図の跡、ジェフリー自身の想像力から資料を得て拡大された。<ref>Thorpe, ''Kings of Britain'' pp. 14-19.</ref> わずかに信じられた歴史的事実が含まれている。多くの学者らは、1190年頃書かれた歴史家[[ウィリアム・オブ・ニューバラ]]の、アーサー王と彼の後継者らについてこの男が書いた全ては、全く明白である。また、先に、5世紀の戦士Vortigernヴォーティガーンから彼の先祖が出たというのははっきりしている。一部はモンマス自身が、その他は他者によって創作された、両方とも偽りの法外な愛情から、またはブリトン人を喜ばせる目的のため。という一致にひきつけられた。<ref>Quoted by Thorpeソープによる引用, ''Kings of Britain'', p. 17.</ref> その上、彼が構想を練り作り直したマーリンとアーサー王の神話は、それら人物の認識にかつてない巨大な影響を及ぼした。彼がアーサー王伝説の規範の、最大の貢献者とみなされるようになった。:<ref>Thorpe, ''Kings of Britain'', p. 20ff., particularly 特にpp. 20&ndash;22 & 28&ndash;31.</ref>
 
後に、ジェフリーは『マーリンの生涯』を、1149年から1151年の間に数カ所で書いた。これはウェールズの伝説から初期のMyrddin伝説の語り直しを自身がしたものである。6歩格詩の叙事詩である。彼の作品は、全て中世ヨーロッパの共通語であった[[ラテン語]]で全て書かれた。
 
彼の同時代の人々は全てがジェフリーの歴史によって確信したのではない。例えば、[[ウェールズのジェラルド]]は、悪魔により所有されていた男の経験を詳述した。あるとき邪悪な魂が彼をあまりにさいなめたら、ヨハネの福音書が彼の胸部にあり、鳥のように彼らはたちまち消え失せた。しかし、本が取り除かれると、ジェフリー・アーサーの書いたブリトン人の歴史書がその場所に代わりにあり、悪霊らは瞬く間に大勢で押し寄せ、常以上に長くその男の体と本の上に居続けた。<ref>Gerald of Wales, ''The Journey through Wales/The Description of Wales'' (Lewis Thorpe ed.), Penguin, 1978, Chapter 5, p 116.</ref>
 
==参照==