「八甲田山死の彷徨」の版間の差分

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[[日露戦争]]直前の[[1902年]]([[明治35年]])に、[[ロシア]]との戦争に備えた寒冷地における戦闘の予行演習として、また[[陸奥湾]]沿いの[[青森]]から[[弘前]]への補給路をロシアの艦砲射撃によって破壊された場合を想定して、[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]が八甲田山で行った雪中行軍の演習中に、参加部隊が記録的な寒波に由来する吹雪に遭遇し210名中199名が凍死した[[八甲田雪中行軍遭難事件]]を題材にした山岳小説。演習当日には、[[北海道]]で史上最低気温が記録されるなど、例年の冬とは比べ物にならない寒さであったとされている。
 
ノンフィクション小説として扱われる事も多いが、実際には、事実を題材としながらも作者自身の解釈や創作が含まれるフィクションである。作品中では青森第五連隊と弘前第三十一連隊が共通の目的の下に協調して雪中行軍を計画したように描かれているが事実ではない。実際には双方の計画は個別に立案されたもので、実施期日が偶然一致したにすぎない。また、作中で描かれる双方の指揮官の交流も新田の創作であり、両隊になんらかの情報交換があった否かについては現在残されている資料からは確認できない。また、人物描写の都合上メインとなる神田大尉と山田少佐の描写も神田大尉寄りにかなり脚色されてしまっている
 
==あらすじ==