「オルズベック・ナザロフ」の版間の差分

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Hideki1976 (会話 | 投稿記録)
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|nickname=グッシー
|weight=[[ライト級]]
|birth_date=[[1966年]][[8月30日]]
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|nationality=[[キルギスタン]]
|birth_date={{生年月日と年齢|1966|8|30}}
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'''オルズベック・ナザロフ'''(Orzubek('''Orzubek Nazarov'''、[[1966年]][[8月30日]] - )は、[[キルギス]]共和国[[カント (曖昧さ回避)|カント]]出身の[[タジク人]]の[[プロボクサー]]。[[世界ボクシング協会|WBA]]世界ライト級王座を7度防衛。
 
== 来歴 ==
オルズベック・ナザロフは、[[勇利アルバチャコフ]]らと共に旧[[ソビエト連邦]]から[[協栄ボクシングジム]]にスカウトされてきた6人のアマチュアエリートボクサーの1人である(来日の橋渡し役は、[[スポーツ平和党]]初代党首で当時・[[参議院議員]]に初当選して間もない[[アントニオ猪木]])
 
1990年2月1日に他のソ連出身選手と共に両国国技館でデビュー。デビュー当時のリングネームは「グッシー・ナザロフ」(髪型が[[具志堅用高]]に似ている事が理由)。以後、破竹の連勝で日本ライト級王座、東洋太平洋ライト級王座を次々と獲得し、1993年10月21日にディンガン・トベラ(南ア)のつWBA世界ライト級王座に挑戦。これを12R判定勝ちで下して同級王者になる。後に無名の外国人ボクサーで日本での集客のなく、さらに[[ライト級]]という欧米では人気選手の集まりやすい階級にもかかわらず低いファイトマネーと試合枯れのため、協栄ジムとの話し合いの末日本を離れ[[フランス]]のプロモーターと契約、その後は旧ソ連に戻りキャリアを終える。
 
== 戦績 ==
'''アマ''':175戦153勝(80RSC)12敗<br />
'''プロ''':27戦26勝(19KO)1敗<br />
'''獲得タイトル''':
* 1987年ヨーロッパ・アマチュアボクシング選手権ライト級優勝
* 日本ライト級王座
* [[東洋太平洋ボクシング連盟|OPBF]]東洋太平洋ライト級王座
* [[世界ボクシング協会|WBA]]世界ライト級王座
 
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{{fightstatscont|1|1990年022011日|☆|1R|KO|西沢誠|{{JPN}}|プロデビュー戦}}
{{fightstatscont|2|1990年044月12日|☆|3R|TKO|田鎔万|{{KOR}}|--}}
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{{fightstatscont|6|1991年044月22日|☆|4R|KO|八木賢治|{{JPN}}|日本ライト級王座獲得}}
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{{fightstatscont|10|1992年033月11日|☆|1R|KO|中野猛仁|{{JPN}}|防衛2<br />(1992年2月17日 日本ライト級王座返上)}}
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{{fightstatscont|12|1992年055月11日|☆|12R|判定|大友厳|{{JPN}}|[[東洋太平洋ボクシング連盟|OPBF]]ライト級王座}}獲得
{{fightstatscont|13|1992年066月24日|☆|10R|KO|フランシス・ベラスケス|{{PHI}}|防衛1}}
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== 関連項目 ==
* [[勇利アルバチャコフ]]
* [[ジミン・アレクサンダー]]
 
{{Championshiptitle|第40代|[[日本ボクシング協会|JBC]]|日本ライト級|八木賢治|斉藤孝|2001年6月23日 - 1991年3月11日(返上)}}
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[[Category:日本のジム所属の外国人ボクサー]]
[[Category:1966年生]]
 
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[[en:Orzubek Nazarov]]