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== 藩史 ==
上有知は、[[豊臣政権]]時代に[[佐藤秀方]]が2万5,000石をもってこの地に封じられていたが、その子[[佐藤方政]]の代の[[慶長]]5年([[1600年]])の[[関ヶ原の戦い]]で西軍に加担して[[岐阜城]]の戦いにおいて戦線離脱したため、戦後になって[[改易]]された。
 
一方、佐藤方政の叔父で[[飛騨国|飛騨]]一国を支配する[[金森長近]]は東軍に与して戦功を挙げたため、戦後に所領として上有知1万8,000石を加増された。これを機に家督を[[金森可重]]が継がせて上有知城に入ったのである。長近は上有知の殖産興業化を目指し、牧谷地域の製紙業を発展させ、城下町の建設にも尽力した。ちなみに長近は慶長10年([[1605年]])に[[飛騨高山城]]を築城し、ここを金森氏の居城とした。これが、現在の高山町繁栄の基礎にもなっている。