ホーム
おまかせ表示
付近
ログイン
設定
寄付
ウィキペディアについて
免責事項
検索
「成田長泰」の版間の差分
言語
ウォッチリストに追加
履歴表示
編集
履歴の双方向閲覧
← 古い編集
新しい編集 →
削除された内容
追加された内容
ビジュアル
ウィキテキスト
2005年2月28日 (月) 03:05時点における版
編集
竹麦魚
(
会話
|
投稿記録
)
64,223
回編集
m
戦国時代 (日本)
← 古い編集
2005年2月28日 (月) 03:13時点における版
編集
取り消し
219.110.68.251
(
会話
)
編集の要約なし
新しい編集 →
1行目:
'''成田 長泰'''(なりた ながやす、[[1493年]]
([[明応]]2年)
-
[[1571年]]
)
([[元亀]]2年))
は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武将]]。[[成田親泰]]の子で、[[成田氏長]]と[[成田長忠]]の父に当たる。
[[武蔵国]][[忍城]]を領していた。はじめ[[関東管領]]・[[上杉憲政]]に仕え、その後、[[上杉謙信]]に仕えた。しかし、謙信に恥をかかされたことから謙信を恨み、[[1560年]]に謙信が[[小田原城]]を包囲した後、[[北条氏康]]に降伏し、その家臣となった。