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'''お軽''' ('''おかる'''、[[貞享]]2年([[1684年]]) - [[正徳 (日本)|正徳]]3年[[10月6日 (旧暦)|10月6日]]([[1713年]][[11月23日]]))は山科に潜伏していた頃の[[大石内蔵助]]の妾。「於可留」または「梶」と記す書もある。
 
京都二条の二文字屋次郎左衛門の娘として生まれた。[[元禄]]15年([[1702年]])4)4月、[[大石内蔵助]]は、妻[[大石りく]]たちを[[但馬国]][[豊岡藩|豊岡]]の実家に帰らせると、[[京都]]で遊び呆け始める。[[堀部安兵衛]]はじめ江戸急進派の同志たちの不満がこれ以上募ることを恐れた[[進藤源四郎]]や[[小山源五右衛門]]らが、内蔵助に少しでも廓通いを止めさせるためにこのお軽を紹介して側におかせたという。時にお軽は18歳。子供を身ごもったようだが、のち内蔵助は江戸へ下向することになったので、内蔵助は、彼女に金銀を与えて二条の実家に戻して、浅野家の藩医だった[[寺井玄渓]]を派遣したという。[[正徳 (日本)|正徳]]3年([[1713年]])10)10月6日に死去。[[享年]]29。墓は[[京都市]][[上京区]]今出川通りの上善寺にある。法名は清誉貞林法尼。
 
なお「[[仮名手本忠臣蔵]]」に登場するお軽のモデルは彼女だが、この作品の中では早野勘平([[萱野三平]]がモデル)の恋人で、[[寺坂吉右衛門]]の妹ということになっている。