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ラウル・グスタフ・ワレンバーグ(スウェーデン語読みではラオル・グスタフ・ワレンベリ)は[[ストックホルム]]の東にあるリーディング島で1912年8月4日に生まれた。父親のラウルは息子が生まれる数ヶ月前になくなったため、母のマイはその名前を息子に与えた。彼の一族は有名な銀行家一家であり、ラウルはやり手だった祖父グスタフの薫陶を受けて育った。
 
ラウルは高校を首席で卒業し、兵役をすますと、[[アメリカ合衆国]]のミシガン大学へ留学した。建築学をおさめてスウェーデンに帰国すると、世界を見てほしいという祖父の願いに答えて[[南アフリカ]]や[[パレスティナ]]で貿易商、銀行家として働いた。そこでナチスの迫害を逃れてきたユダヤ人たちにであったことが後の彼の運命を決めることになる。[[1938年]]、ユダヤ系ハンガリー人貿易商コロマン・ラウアー(ラウエル・カールマーン)に見出されてその右腕となると、ヨーロッパの各地で活躍した。
 
===ナチスとユダヤ人===