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労働者階級の出身だが、祖父の奨めにより4歳でヴァイオリンを学び、11歳になるまでに、シャルルロワ音楽学校のヴァイオリン科とピアノ科の両方で首席をとった。後にブリュッセル王立音楽院に進み、1949年にはグリュミオー自身もそのヴァイオリン科で教鞭を執った。[[パリ]]に留学して[[ジョルジュ・エネスコ]]に入門。[[第二次世界大戦]]中は、[[ナチス・ドイツ]]占領下のベルギーで室内楽の演奏旅行を行なった。
 
戦後になってからソリストとしての名声がうなぎ上りとなり、ピアニストの[[クララ・ハスキル]]をパートナーに迎えて演奏活動を行なった。[[1960年]]にハスキルが急死してからは、一個人としても演奏家としても虚脱感に見舞われている。
 
グリュミオーは、あらゆるジャンルにわたってヴァイオリン作品を幅広く演奏・録音した。そのレパートリーは、[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]や[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]、[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]の協奏曲やソナタ、[[ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィオッティ|ヴィオッティ]]の協奏曲、[[セザール・フランク|フランク]]や[[ガブリエル・フォーレ|フォーレ]]のソナタといった伝統的な定番や、[[アンリ・ヴュータン]]のようなお国ものにくわえて、[[アルバン・ベルク|ベルク]]や[[イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラヴィンスキー]]のような20世紀の音楽までに及んでいる。いずれの曲目においても、ヴァイオリンの艶やかな音色と、瑞々しいまでの抒情性が抜きん出ており、同時に気高い品格を感じさせるのがグリュミオーの演奏様式の特色である。
 
グリュミオーは音楽界への貢献が認められ、[[1973年]]に国王[[ボードゥアン1世 (ベルギー王)|ボードゥアン1世]]により[[男爵]]に叙された。[[1986年]]に[[心臓発作]]により[[ブリュッセル]]にて他界。
 
[[ピアニスト]]としては、多重録音によるモーツァルトのヴァイオリンソナタを録音している。
 
また、長いこと行方不明だった[[ニコロ・パガニーニ|パガニーニ]]のヴァイオリン協奏曲第4番を復活初演し、自身でカデンツァも書いた。
[[Category:ベルギーのヴァイオリニスト|くりゆみおお あるてゆうる]]
 
[[Category:1921年生|くりゆみおお あるてゆうる]]
[[Category{{DEFAULTSORT:1986年没|くりゆみおお あるてゆうる]]}}
[[Category:ベルギーのヴァイオリニスト|くりゆみおお あるてゆうる]]
[[Category:1921年生]]
[[Category:1986年没]]
 
[[de:Arthur Grumiaux]]