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'''井伊 直亮'''(いい なおあき、[[1794年]][[7月7日]]([[寛政]]6年[[6月11日 (旧暦)|6月11日]]) - [[1850年]][[11月4日]]([[嘉永]]3年[[10月1日 (旧暦)|10月1日]]))は、[[近江国|近江]][[彦根藩]]の第1214代藩主。父は

1113代藩主・[[井伊直中]](直亮は三男。母は[[南部利正]]の娘。正室は水戸支流[[松平頼起]]の娘、継室は[[井伊直朗]]の娘。弟は実子なし。養子に[[井伊直元]]、[[井伊直弼]]。養女娘([[南部利義]]。官位は掃部頭。
 
寛政6年(1794年)6月11日、[[江戸]]で生まれた。幼名は弁之助。兄の[[井伊直清]]が病弱だったため、[[文化 (元号)|文化]]2年([[1805年]])に直中から嗣子に指名され、文化9年([[1812年]])2月5日の父の隠居により家督を継いだ。文化12年([[1815年]])には将軍・[[徳川家斉]]の名代として日光東照宮に参拝し、[[天保]]6年([[1835年]])からは[[大老]]に任じられた。しかし天保12年([[1841年]])に自ら辞退している。また、[[相模国|相模]]における異国船への警護を命じられている。嘉永3年(1850年)10月1日、彦根にて死去した。[[享年]]57。後を弟で、幕末の有名な大老となった[[井伊直弼]]が継いだ。墓所は[[滋賀県]][[彦根市]]の清涼寺。法号は天徳院真竜廓性。
 
 
{{先代次代|[[彦根藩|彦根藩1514代藩主]]|1812 - 1850|[[井伊直中]]|[[井伊直弼]]}}
 
[[Category:井伊氏|なおあき]]