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{{クラシック音楽}}
'''ナルシソ・イエペス'''('''Narciso Yepes''', [[1927年]][[11月14日]] - [[1997年]][[5月3日]])本名ナルシソ・ガルシア・イエペスは[[ギタリスト]]。[[スペイン]]のムルシア地方の[[ロルカ]]近郊の農家に生まれた。4歳の時に初めてギターに触れ、ロルカの音楽アカデミーでギターを学び、その後バレンシア音楽院に進んでギターや作曲を学んだ。
 
[[1947年]]、スペイン国立管弦楽団の定演コンサートに名指揮者[[アタウルフォ・アルヘンタ]]により招かれ、[[ホアキン・ロドリーゴ|ロドリーゴ]]の[[アランフェス協奏曲]]を演奏した。その演奏は、まったく彗星のような出現だったために大変な好評を博し、その後に行われた[[パリ]]や[[ジュネーヴ]]などでの演奏会の成功で、イエペスの名はヨーロッパ中に知れ渡った。
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[[1964年]]からは、[[ホセ・ラミレスⅢ世]]と共同で通常より音域の広い[[10絃ギター|10弦ギター]]を開発した。演奏の軽快さが多少犠牲になり、一部では批判もあったが、均一な共鳴をもつ透明度の高い音色を実現し、多くの音楽愛好家に受け入れられた。
 
[[1989年]]4月スペイン芸術院のサン・フェルナンド王立アカデミーの会員に任命された。これは[[サインス・デラマーサ]]、[[アンドレス・セゴビア]]に続く3の栄誉である。
 
1990年頃に、悪性の[[リンパ腫]]に冒されている事が発覚し、[[1993年]]には医師から演奏活動の中止を忠告されたが、その後も演奏活動を続けた。だが、[[1996年]]3月に[[サンタンデール (都市)|サンタンデール]]音楽祭に出演したのが最後のステージとなり、[[1997年]][[5月3日]]に69歳で死去した。
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(1967年から1989年までは[[ドイツ・グラモフォン]]専属となった。)
 
イエペスは心底からスペインの音楽家であった。その本領は20世紀のスペイン音楽にあった。それは、[[イサーク・アルベニス]]や[[エンリケ・グラナドス]]の音楽(すなわち編曲もの)を除いて、大半がギターのオリジナル作品によって占められていた。また、彼の10弦ギターによる演奏は、全て、端正で客観的であり、鋭角的であった。そして、左右の指の運指、また演奏上の音楽的展開の基礎はまず、全身の筋肉の動きを究明するところから始まっていて、単なる便宜上の手段ではないのである。なおかつ、これはクラシックギターの新しい演奏技術の進展を見せるものでもあった。
イエペスは心底からスペインの音楽家であった。その本領は20世紀のスペイン音楽にあった。
 それは、[[イサーク・アルベニス]]や[[エンリーケ・グラナドス]]の音楽(すなわち編曲もの)を除いて、大半がギターのオリジナル作品によって占められていた。
 また、彼の10弦ギターによる演奏は、全て、端正で客観的であり、鋭角的であった。
 そして、左右の指の運指、また演奏上の音楽的展開の基礎はまず、全身の筋肉の動きを究明するところから始まっていて、単なる便宜上の手段ではないのである。
 なおかつ、これはクラシックギターの新しい演奏技術の進展を見せるものでもあった。
 
日本国内での代表的な弟子として、[[荘村清志]]、故[[芳志戸幹雄]]、[[小原聖子]]氏、等がいる。
 
イエペスには数々の栄誉が与えられており、代表的なものとして[[ムルシア大学]]名誉博士号、イサベル・ラ・カトリカ十字章、スペイン国王から芸術功労金メダル、スペイン文化賞からスペイン音楽大賞、スペイン作曲家協会賞、国営テレビ局大賞等がある。
 
==外部リンク==
[[category:スペインのギタリスト|いえへす なるしそ]]
*[http://www.narcisoyepes.org/ Official Homepage]
[[Category:クラシックギター奏者|いえへす なるしそ]]
 
[[Category:1927年生|いえへすなるしそ]]
[[Category{{DEFAULTSORT:1997年没|いえへす なるしそ]]}}
[[category:スペインのギタリスト|いえへす なるしそ]]
[[Category:クラシックギター奏者|いえへす なるしそ]]
[[Category:1927年生|いえへすなるしそ]]
[[Category:1997年没]]
 
[[de:Narciso Yepes]]