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合気の技にはやらせ疑惑がつきものである。演武で見せる技は時に超人的なものに見えるので、"本当にこのような技が可能なのか疑わしい。技をかけられる側が演技で自分から跳んで「達人の神技」を演出しているのではないか"という疑惑である。このような疑問に関しては、論点をいくつかに分けて論じることが可能である。合気は一概にインチキである、本物である、とは言いにくいものである。
 
; 「合気の存在体験」の論点
: 技を実際に体せず見た目だけで判断する場合、完全やらせだろうとう疑惑を持つは合気の存在間も少なくない。そのものを疑場合がある。これな疑惑は単があすれば氷解すかないかことであり、議論以前の問題である。ただしその存在を認めた上でも、合気の価値評価に関しては意見が分かれる。
; 「稽古法」の論点
: 素直に技にかかることには、合気の感覚をつかむことに集中するという稽古上の意味がある。また、初心者が合気をかける感じを少しでもつかむ為に、技が効いていなくても受け側が跳ぶ場合がある。力み癖がつくので、常に力いっぱいかかる稽古が最善であるとは限らない。
; 「安全・防御」の論点
: 「技を回避する」「踏ん張ると痛い」「跳び上がるほど痛い」などの理由から、受け側が自ら跳んで、「技がかかる前に回避する」というもの。素早い関節技であれば、素人目には「触れただけで跳んでいる」ように見えることもある。しばしば「合気はやらせ説」の論点に取り上げられるが、そもそも「合気を使う前に跳んでいる」「単純な関節技 (投げ技) である」ということから、合気術と直結している訳ではない。
; 「感覚精度」の論点