「獄門」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
「国史大辞典」を参考に加筆 |
編集の要約なし |
||
3行目:
こうした刑罰は[[平安時代]]後期から存在し、[[平安京]]の左右にあった獄の門前に斬首された罪人の首を晒した事が「獄門」の語源であると言われている。また当時は斬首した首をただ晒すだけでなく、[[矛]]で貫いて京中の大路を練り歩くことも行われたという。以後も同様の刑罰は存在したが、本格的に刑法体系に取り入れたのは[[江戸幕府]]であったと言われている。
首を晒す台を獄門台といい、高さ6尺(下部を土に埋めるので実際には4尺(1.2m))の台に五寸釘を二本下から打ち、ここに首を差し
獄門の刑罰を科される犯罪は、強盗殺人、主人の親類の殺害、地主や家主の殺害、偽の秤や枡の製造などであった。
|