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{{Otheruses|社会心理学|[[科学哲学]]|自然の斉一性}}
{{出典の明記}}
'''斉一性の原理'''(せいいつせいのげんり)とは、[[社会心理学]]の用語であり、{{要出典}}[[集団]]が異論の存在を許さず特定の方向に進んでいく事を指す。<!--{{要出典}}[[多数決]]で意思決定を行う場では起こらず、[[全一致心理学]]の用語[[意思決定]]を行う場で起きる。-->
 
==概説==
[[1956年]]発表の[[アメリカ映画]]「十二人の怒れる男」は、斉一性の原理をテーマに扱っている。
<!--{{要出典}}[[多数決]]で意思決定を行う場では起こらず、[[全会一致]]で[[意思決定]]を行う場で起きる。-->
 
[[陪審制]]のある[[アメリカ合衆国]]では、[[有罪]]か[[無罪]]かを、陪審員が決定する。
[[殺人]]容疑で[[起訴]]された[[被告人]]に対し、[[状況証拠]]充分、ならず者経歴豊富といった状況で、[[容疑]]を固めるような[[証拠]]ばかりが提出されていく。斉一性の原理が起きている。
それに対し、1人の陪審員が、証拠に反論を積み重ね、無罪を勝ち取っていく物語である。
他の陪審員は、証拠に反論が提出されるたびに、苛立ちを覚える。斉一性の原理を否定され、社会的現実を脅かされるのが、不快なのである。
しかし、多数の確信が誤りであるとの証拠を積み重ね、遂には多数派に誤りを認めさせてしまう。
 
<!--.....{{要出典}}は「斉一性の原理が働く場では、必ず「[[自薦の用心棒]]」が現れる」と述べた-->
<!--.....{{要出典}}は『「自薦の用心棒」の活躍を止めるためには、反論の動機も根拠も客観的であるとの姿勢を貫かなければならない』と述べた-->
 
<!--
「自薦の用心棒」の活躍を止めるためには、反論の動機も根拠も客観的であるとの姿勢を貫かなければならない。
独自の研究。
もしも研究者が『「十二人の怒れる男」は「斉一性の原理」をメインテーマにした映画だ』とでも述べているなら、その出典を正確に示すべき。
 
==関連フィクション==
[[1956年]]発表の[[アメリカ映画]][[十二人の怒れる男]]」は、斉一性の原理をテーマに扱っている。
[[陪審制]]のある[[アメリカ合衆国]]では、[[有罪]]か[[無罪]]かを、陪審員が決定する。
[[殺人]]容疑で[[起訴]]された[[被告人]]に対し、[[状況証拠]]充分、ならず者経歴豊富といった状況で、[[容疑]]を固めるような[[証拠]]ばかりが提出されていく。斉一性の原理が起きている。
それに対し、1人の陪審員が、証拠に反論を積み重ね、無罪を勝ち取っていく物語である。他の陪審員は、証拠に反論が提出されるたびに、苛立ちを覚える。斉一性の原理を否定され、社会的現実を脅かされるのが、不快なのである。しかし、多数の確信が誤りであるとの証拠を積み重ね、遂には多数派に誤りを認めさせてしまう
-->
 
== 関連項目 ==
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* [[社会的影響]]
* [[社会的証明]]
* [[自然の斉一性]]
 
[[Category:社会心理学|せいいつせいのけんり]]