「ル・マン24時間レース」の版間の差分

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マツダ優勝の翌日にジャガーがお祝い広告を出した事実は日本ではない。外国での勘違い?
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事実上最後の年になった[[1991年]]、日本のメーカーとして初めて総合優勝を果たした。優勝車両は[[マツダ・787|マツダ・787B]]、ドライバーは[[ジョニー・ハーバート]]/[[ベルトラン・ガショー]]/[[フォルカー・ヴァイドラー]])。同時に参戦していた他の2台も6位と8位に入った。余談であるが、この年はファイナルラップ中に24時間のゴールタイムを迎えたため、終了前に観客がコースになだれ込んでしまい、マツダはピットロードにてチェッカーを受けることになってしまった。
 
大資本をバックに大々的に参戦してきた他の日本勢と違い、ロータリーエンジンという独自の技術とともに、長い年月をかけて地道に参戦を続けてきたマツダの総合優勝は、多くの地元観客のみならず、他の参戦ワークスチームや世界中のモータースポーツファンから大きな賞賛を浴びた(日本ではマツダと共に参戦した[[ジャガー (自動車)|ジャガー]]が、優勝翌日の各新聞朝刊にその偉業を讃える全面広告を出し。同業メーカーが他社を純粋かつ大々的に広告媒体で賞賛するのは極めて異例)
 
マツダは、この年を最後に事実上ロータリー車が締め出されるため、当初1991年を以てル・マンを撤退する予定であったが、優勝したために急遽[[レシプロエンジン]]の車両([[ジャガー・XJR-14]]のシャシーに、[[ジャッド]]GVエンジンをベースにマツダとエンジンデベロップメント社が共同開発したMV10型を積んだもの)を作成し、[[1992年]]に[[ディフェンディングチャンピオン]]として参戦、総合4位に入賞するが、マツダの業績悪化に伴い、この年を最後に撤退した。