「西郷吉兵衛」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Nonsvch (会話 | 投稿記録)
m 次男吉二郎の名が吉次郎になっていたため、訂正。
31行目:
*西郷隆盛の諱は本来「隆永」であったが、[[王政復古]]時に役所に名前を申請した際に手違いが起きてしまい、父吉兵衛の諱「隆盛」で登録されてしまった。しかし西郷本人は気にする事もなく、その名を使い続けた。
*[[1990年]]放送の[[NHK大河ドラマ]]「[[翔ぶが如く (NHK大河ドラマ)|翔ぶが如く]]」では[[坂上二郎]]が演じた。
*西郷吉兵衛はお由良騒動で赤山久晋(通称は靱負)の[[介錯]]をしたという説があるが、これは誤りで、実際は剣豪家加藤新平に頼んだと言う。また、吉兵衛は日置島津家の家来の四本氏が母のため、日置島津家とその庶流赤山家の家政上の世話をする御用人だった。赤山久晋の遺言を聞き、臨終を見届けて一切の処置をとった。また、赤山の血衣を持ち帰って吉之助(のちの西郷隆盛)に見せ、涙ながらに赤山の最後を語ったという
 
*「西郷隆盛年譜」によれば、弘化4年に西郷吉兵衛は、長男の吉之助(のちの西郷隆盛)とともに、薩摩郡水引郷(現在の[[川内市]])豪農(郷士か?)の板垣家を訪ね、100両借金し、翌年、板垣家の息子板垣休右衛門が西郷家を訪れ、さらに100両、合計200両を貸し借りたそうだ。弘化4年に西郷竜右衛門が隠居し、吉兵衛が西郷家当主となったために必要な借金だったのだろう
 「詳説西郷隆盛年譜」によると、この借金はすでに売却した石高の買戻しに使ったらしい。
 
== 参考文献 ==