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'''佐竹 義方'''(さたけ よしかた、[[宝暦]]4年(1754([[1754年)-]]) - [[文化 (日本)|文化]]6年(1809[[2月10日 (旧暦)|2月10日]]([[1809年]][[3月25日]]))は、[[出羽国]][[久保田藩]]の第7代藩主[[佐竹義明]]の次男。8代藩主[[佐竹義敦]]の弟。左近。芳洲と号する。子女は、長女八重([[谷衛量]]室、のちに離縁)、[[那須資礼]]。文人であり、漢詩をよくした。
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