「足利藤氏」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
m編集の要約なし
25行目:
その後、藤氏の身柄は[[相模国|相模]]・[[伊豆国|伊豆]]を転々としたとされるが、永禄9年(1566年)以降はその消息が不明になる。北条氏康によって処刑されたと言われている。
 
古河公方・足利藤氏を失った事により、上杉謙信の関東経営は大打撃を受け、後に[[越相同盟]]が締結された時にも、唯一の古河公方となった[[足利義氏 (古河公方)|足利義氏]]を擁立する北条氏康が謙信に対して優位に交渉を進めていくのである。一方で、藤氏の弟の家国、藤政、輝氏が古河公方の再興を目指し活動した形跡も確認されているが、その影響力は微々たるものであり、[[天正]]年間を境にその活動はみられなくなる。
 
== 関連項目 ==
*[[足利氏]]
 
{{先代次代|[[古河公方]]|歴代に含めず|[[足利晴氏]]|[[足利義氏 (古河公方)|足利義氏]]}}
 
{{先代次代|[[古河公方]]|歴代に含めず|[[足利晴氏]]|[[足利義氏]]}}
{{People-stub}}