「平治物語」の版間の差分

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== 概要 ==
 
成立は[[鎌倉時代]]前期と推定される。作者不詳。三巻[[後白河上皇]]方最大の武力勢力であった[[平清盛]]が[[熊野]]参詣けた隙を狙って、[[藤原信頼]][[源義朝]]を語らって挙兵上皇を大内裏で監禁、院の寵臣であった[[藤原通憲]]と[[を殺害するものの、熊野から引き返した平清盛]]に敗れ、信頼は処刑、義朝も暗殺される。『保元物語』や『治の乱を家物語』と同様、[[和漢混]]描写す叙述されている。
 
=== 成立 ===
『平治物語』については、成立にかんして確かな資料は多くない。ただし、[[石井行雄]]によって『[[春華秋月抄草]]』の[[寛元]]4年(1246)の執筆箇所に、物語の古態本の断片を確認することができ、すくなくともこの年以前には成立していたと目される。これは[[絵巻]]である『[[平治物語絵詞]]』の書風を、[[藤原教家]]の晩年、[[建長]]年間(1249-1255)のもとを認定した[[松原茂]]の説とも合致しており、13世紀半ばには成立していたというのは動かないと思われる。そして『[[普通唱導集]]』([[永仁]]5年・1297)には保元・平家と並んで琵琶法師の語りが広まっていたことが記されており、13世紀後半には物語は広く浸透してものと判断される。
== テキスト ==
*『日本古典文学大系』 岩波書店 (金刀比羅本・流布本)