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ラーンナータイが[[ビルマ]]軍の手に渡ったとき、カーオ王国も一緒に占領されたが、このとき何度も抵抗を見ている。しかし[[1714年]]には完全にビルマに主権が渡ってしまう。その後[[1788年]]にはビルマの占領を解き、[[ナーン王国]]に主権が渡された。その後[[1893年]]の[[パークナム事件]](シャム危機)により、県の大部分を[[フランス]]に割譲した。ナーンが独自の王朝をもっていたとはいえ[[1931年]]には完全にタイ領となった。
 
60年代から70年代にかけて[[少数民族]]による[[共産主義]][[ゲリラ]]、[[タイ人民解放戦線]](PLAT)の反政府活動が盛んで政府軍と衝突を起こした。[[1967年]]には100の村の立ち退き、数万住民の移住、数千の死者を伴う大規模な衝突が起きている。現在少数民族はタイ政府と和解し反政府活動は沈静化している
 
==民族==