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1977年に日立を定年退職した後、1980年から1986年までJSLの総務主事を務め、[[森健兒]]や[[木之本興三]]といった後に[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]設立に携わる事になる人材が比較的自由に動く場を作った。自らはもっぱら日本リーグの指導者レベル向上など、地味な役割を担った。
 
その後は、自身の愛称を冠した[[ロク・フットボールクラブ]]を設立、埼玉県南部を中心に活動しユース年代の育成に尽力。1987年にはJSL2部の[[大宮アルディージャ|NTT関東サッカー部]]の技術顧問。1993年からは[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]の初代技術委員長を務めるなど、生涯にわたって技術指導を続けた。
 
2000年、[[肺炎]]により死去。