「ヘラルト・テル・ボルフ」の版間の差分

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テル・ボルフは招聘されて[[マドリード]]を訪問、彼はスペイン王[[フェリペ4世 (スペイン王)|フェリペ4世]]に雇われ騎士に叙された。しかし、陰謀事件の結果、彼はオランダへ帰国せざるをえなかったといわれる。彼は一時ハールレムに定住したとみられる。しかし彼は最終的にデーフェンター(現在オーファーアイセル州の町)へ定住し、そこで町議会の議員となり、ハーグのギャラリーにある肖像画の中に姿を見せている。彼は1681年にデーフェンターで死んだ。
 
テル・ボルフは肖像画家として一流だが、風俗画の画家としても今だ高名である。彼は、金持ちの生活ぶりと同時代の知識階級らの真実を見事に描いた。また彼の作品は、オランダ美術の中で多くを占めるとされる粗雑な筆遣いからほど遠かった。彼の人物像は姿勢において非常によく描かれ表情に富む。彼の彩色は鮮明で豊かである。しかし、彼の最高の手腕は、彼の、衣類のひだにある織物の無比の表現にあり、''手紙''や''父の言''などの作品で平均的に見られる。テル・ボルフの作品は比較的少ない。80作品のみが知られる。このうち6作品は[[エルミタージュ美術館]]、5作品は[[ルーヴル美術館]]、4作品は[[ドレスデン美術館]]、2作品が[[ウォレス・コレクション]]に収められている。
 
{{commonscat|Gerard ter Borch d. J.}}