「イタリア社会党」の版間の差分

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政治改革推進の下、[[小選挙区比例代表並立制]]が導入されると、汚職事件に対する国民の糾弾もあり、1994年の総選挙では僅か14議席の獲得にとどまり、党名変更などを行うも党勢は大きく衰退した。
 
1998年には、クラクシ元首相の路線とは一線を画すボゼッリらがイタリア社会党の再建を期して[[イタリア民主社会主義者]](SDI)を結成し、イタリア社会党は事実上、解体した。
 
その後、クラクシの息子やクラクシのもとで活躍したデ=ミケリス元外相らがボゼッリらのSDIとは別に[[新イタリア社会党]](NPSI)を結成。党章などからもこの党がイタリア社会党を継承しているといえる。ただし、NPSIは[[ベルルスコーニ]]中道右派政権の連立与党であり、現在のイタリアの社会民主主義勢力の中心は[[左翼民主主義者 (政党)|左翼民主主義者]]である。