「エティエンヌ・フランソワ・ド・ショワズール」の版間の差分

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== 経歴 ==
 
ステインヴィル侯爵フランソワ・ジョゼフ・ド・ショワズールの長子として生まれ、最初、ステインヴィル伯(スタンヴィル伯)を名乗る。スタンヴィル家は[[ロレーヌ]]地方の古い貴族で、[[フランツ1世 (神聖ローマ皇帝)|フランツ1世]]との関係も浅くはない。長じて軍務に就き、[[オーストリア継承戦争]]では、[[ボヘミア]]、[[イタリア]]戦線などに転戦、[[デッティンゲンの戦い]]には[[ノアイユ]]の下で参戦している。[[1745年]]には[[ネーデルラント]]で軍務に就き、[[モンス]]、[[シャルルロ]]、[[マーストリヒト]]などの包囲戦に参加した。[[中将]]となったショワズールはシャテル侯爵の息女、ルイーズ・オノリーンと[[1750年]]に結婚した。ルイーズは[[ルイ14世]]時代の有名な軍隊請負人出身の財産家クローザの孫娘で、ショワズールはこれによって莫大な持参金と資産を得た。
 
== 出世 ==