「ヴォロガセス1世」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
10行目:
ヴォロガセス1世は国内各地を転戦してそれぞれに対応したが、その隙に西暦[[58年]]、ローマ軍はアルメニアに侵攻し首都[[アルタクサタ]]は占領されティリダテスはパルティアに逃げ帰った。ローマは新しく[[カッパドキア]]人[[ティグラネス6世]]をアルメニア王に擁立し、ローマ軍とアルメニア軍は更にアディアバネを攻撃した。アディアバネでも新しく王となっていた[[モノバズス2世]]は一時ローマへの帰順を考えるほど劣勢に追い込まれた。しかしパルティアの援軍を受けてアディアバネはこの攻撃を跳ね返す事ができた。
 
この一連の戦いの後、コルブロに東方全軍への[[インペリウム]]が授与され、本格的な攻勢をかける。そしてローマとの間にアルメニア問題についての妥協が成立した。西暦[[63年]]にヴォロガセス1世の弟ティリダテスが再びアルメニア王に復位することとなるが、戴冠はローマで皇帝ネロの手によって行い、臣従の礼をとるという条件であった。ティリダテスは各地で大歓迎を受けつつローマに赴き、以後パルティア、アルメニアとローマの間は50年以上、[[トラヤヌス]]の時代まで平穏であり続ける。
 
こうしてアルメニア問題では一定の成果を上げたが、ヒルカニアでの反乱の鎮圧には失敗し、ヒルカニアは事実上独立王国となっていた。更に[[アラン人]]の侵入を受けて、アルメニアやアトロパテネが略奪され、アトロパテネ王となっていた弟のパコルス2世は逃亡に追い込まれた。アラン人の脅威に対抗するためにローマに援軍を求めることまで行われた。