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政界入りは[[1970年]]。地元・コネティカット州の上院選に出馬し当選。[[1980年]]には国政進出に打って出るが、当時の[[ロナルド・レーガン|レーガン]]旋風の前に上院選で共和党候補に敗北。雪辱を果たすのはそれから8年後の[[1988年]]になってからである。以来4期連続当選。民主党の中では最右派の一人で、[[ビル・クリントン]]が[[大統領]]在任中に[[モニカ・ルインスキー]]・スキャンダルに直面した際は、クリントンを激しく批判した。
[[2000年アメリカ合衆国大統領選挙]]において[[アル・ゴア]]の伴走者として[[アメリカ合衆国副大統領|副大統領]]候補に選ばれたものの、選挙では大接戦の末敗北。また、リーバーマンは同年に上院議員の改選を迎えていたが、コネティカットでは公職の重複立候補が可能の為、その職にとどまることができた。
その後発足した、[[ジョージ・ウォーカー・ブッシュ|ブッシュJr]][[大統領]]とは大統領選のしこりがあり、政権発足当初は険悪だったが、[[9・11]]の直前に宗教団体への公的助成を可能とする法案に賛同したことから関係が修復。[[ゼル・ミラー]]と共に、民主党内の最右派として積極的に[[ブッシュ政権]]を支える立場となる。9・11の後は「[[イラク]]討つべし」の論陣を張り、[[イラク戦争]]に関しては[[ジョン・マケイン]]上院議員と共に自ら決議案を提出、ブッシュ大統領が[[ローズガーデン]]で演説した際にはマケインと共にブッシュの両脇に陣取り、国民合意を演出した。[[イラン]]の[[核武装]]阻止のための限定空爆論や、イスラエル支援政策に対して、民主党内では異例の強い支持を表明し続け、その為に2006年11月の[[中間選挙]]のコネティカット州上院議員選挙においては党内の左派の反感を買い、現職ながらも民主党候補を選ぶ州予備選において敗北。ただ、無所属で立候補した直後に[[ホワイトハウス]]が全面的な支持を約束、共和党候補が出馬しているにもかかわらず、地元の共和党員の支持により4選。復党はしていないが民主党の会派には復帰した。2008年大統領選挙を巡っては早くから共和党候補者を支持する可能性を示唆し、動向が注目されていたが、2007年12月17日には、[[ニューハンプシャー州]]で「党派よりも、友情や憂国の情が優先する」と述べ、[[イラク戦争]]など外交・安全保障政策を共有する共和党の[[ジョン・マケイン]]上院議員支持を明言した。[[ニューハンプシャー州]]をはじめ、[[ミシガン州]]や[[フロリダ州]]のマケインの遊説にもリーバーマンは同行し、マケイン支持を訴えた。
 
== 関連項目 ==