「趙飛燕」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
蔭人 (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
上位カテゴリを削除。デフォルトソートを追加。
7行目:
[[紀元前7年|前7年]]、成帝が崩御すると事態が一変する。成帝が急死したことよりその死因に疑問の声が上がり、妹の趙合徳が自殺に追い込まれている。こうした危機を迎えた趙飛燕であるが、自ら子がなかったため[[哀帝 (漢)|哀帝]]の即位を支持、これにより哀帝が即位すると皇太后としての地位が与えられた。しかし[[紀元前1年|前1年]]に哀帝が崩御し[[平帝 (漢)|平帝]]が即位すると支持基盤を失った趙飛燕は、[[王莽]]により宗室を乱したと断罪され皇太后から孝成皇后へ降格が行われ、更に[[庶人]]に落とされ間もなく自殺した。
 
[[Category{{DEFAULTSORT:中国史の人物|ちようひえん]]}}
[[Category:漢の皇后|ちようひえん]]
[[Category:紀元前1年没|ちようひえん]]
 
[[en:Empress Zhao Feiyan]]