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始建国2年([[10年]])、甄尋が作成した符命に基き、甄豊は右伯に任命された。ところがそれに就任する前の同年12月、甄尋がさらに作成した符命の内容が、「[[平帝 (漢)|平帝]]の皇后は甄尋の妻である」というものであったため、王莽の怒りを買い、甄尋は逃亡し、甄豊は自殺した。
== 注釈 ==
<references />
== 参考文献 ==
*[[班固]]『[[漢書]]』外戚恩澤侯表第六