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'''株式会社ルマン'''(Le Mans Co.Ltd.)は、日本の自動車部品メーカー。[[1967年]]設立。当初の社名はルマン商会。主にレース用のチューニングパーツの開発・販売や、海外のレーシングカーの輸入販売等を手がける。また'''ガレージルマン'''としてレーシングカーコンストラクター業務も行ったことがある。レース参戦時は'''チームルマン'''を名乗る([[2000年]]よりレース部門を株式会社チームルマンとして子会社化)。チーム名の由来は[[ル・マン24時間レース]]から。
 
[[1976年]]以降、全日本F2000選手権→全日本[[フォーミュラ2|F2]]→全日本[[フォーミュラ3000|F3000]]→[[フォーミュラ・ニッポン]]と続く国内トップカテゴリーに継続して参戦している。特に[[2002年]]以前は[[レイナード]]の国内総代理店を務めており、全日本F3000やフォーミュラ・ニッポンにおいてレイナードの事実上のワークスとして強さを誇った。また、[[日産自動車|日産]]系チームとしてル・マン24時間レースなどにも参戦した経験がある(その際、チーム名が「チームルマン」だったため、海外のエントランスに名前をすぐ覚えてもらえたという)。
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==レース参戦実績==
===[[全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権]]===
全日本耐久選手権時代の1984年、株式会社ユーピー(パナスポーツブランド)のスポンサードにより、ガレージルマン製[[LM・04C/日産]]でシリーズ参戦。1985年シーズン途中より[[LM・05C/日産]]にマシン変更。WEC-JAPANでは2位入賞を遂げる。[[1986年]]シーズンには日産からV6のVG30エンジンが供給されるが、LMシャシーではパワーを受け止めることができず、マーチ製の[[マーチ・86G/日産|86G]]にマシンを変更し参戦する。LMシャシーにはトヨタエンジンが供給され、日産、トヨタエンジンでの2カーエントリーとなる。2台体制は翌87年も続き、WEC-JAPANでは和田孝夫に手により[[ポールポジション]]を獲得した。日産のCカーによる参戦は1991年まで続いた。1993年の[[鈴鹿1000km]]では[[ニスモ]]とジョイントで[[日産・R92CP|日産・R92CP]]で優勝を遂げる。
 
===[[ル・マン24時間レース]]===
1987年、[[マーチ・86G/日産]]で初出場する。翌88年には2カー体制で参戦。以降日産のサテライトチームとして90年まで参戦を続けるが、一度も完走を果たすことができなかった。
 
====参戦歴====
*1987年 A・オロフソン/A・フェルテ/P・ゴナン  マーチ・86G/日産 R
*1988年 D・オンガイス/M・トローレ/鈴木利男 マーチ・86G/日産 R
        A・オロフソン/L・レオーニ/森本晃生  [[マーチ・88G/日産]] R
*1989年 和田孝夫/A・オロフソン/森本晃生   マーチ・88G/日産 R
*1990年 和田孝夫/A・オロフソン/M・S・サラ  [[日産・R89C]] R
 
===フォーミュラ・ニッポン===
[[1996年]]のシリーズ発足時より参戦。1996年はラルフ・シューマッハ、1998年は本山哲がシリーズチャンピオンを獲得した。
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*2007年 片岡龍也/[[ビヨン・ビルドハイム]] 9位
*2008年 [[伊藤大輔]]/ビヨン・ビルドハイム
 
==関連項目==
*サンダー・LM39(初のガレージルマン製レーシングマシン。単座GC・F2兼用マシン)
*[[日産・スカイラインターボC]](R30スカイラインGr.5ベースのフロントエンジンCカー)
*[[LM・03C/日産]](日産エンジン搭載初の本格的Cカー)
*[[LM・04C/日産]]
*[[LM・05C/日産]](1985年[[WEC-JAPAN]]2位入賞)
 
==外部リンク==