「イソクラテス」の版間の差分

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イソクラテスの修辞学教育のプログラムは、絶対の真実を得ることができない、現実的な問題や事件に対処するための言語使用能力に重きを置くものだった。さらに、国家に奉仕するための生徒の公民教育、訓練にも重きを置いた。生徒たちはさまざまなテーマについて、弁論を組み立て・述べることを練習した。イソクラテスは修辞学の法則・理論より、生まれつきの才能と練習とが重要であると考えた。変化のない法則を正確に叙述するよりは、カイロス({{lang|el|καιρός}}, kairos)、つまり、時と場合に応じた雄弁家の能力を力説した。
 
ソフィストに対する[[プラトン]]の攻撃のために、イソクラテスの弁論術・哲学学校は、非倫理的で欺瞞的であるように見られるようになった。しかし、プラトンの批判の多くは、イソクラテスの仕事の中に見付けることは難しく、結局プラトンはその著書『パイドロス』([[:en:Phaedrus (dialogue)]])の最後で、ソクラテスにイソクラテスを讃えさせている。イソクラテスは理想的な雄弁家は修辞学の才能を持つだけでなく哲学・科学・芸術の幅広い知識を持つべきだと理解していた。さらに雄弁家は自由・自制・徳のギリシアの理想をも象徴しなければならないとも。その意味で、イソクラテスは[[マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロ]]や[[クンティリアヌス]]([[:en:Quintilian]])といった古代ローマの修辞学者たち、さらにリベラルな教育概念に影響を与えた。
 
修辞術<!--art of rhetoricのみ「修辞術」と訳します-->について、イソクラテスは革新者でもあった。イソクラテスは不自然さを避け、明確で自然なスタイルを奨励した。一方で、聞き手の注意を集めるリズムと変化をもたらした。ほとんどの修辞学者たちと同様に、彼は修辞学を、真実を曖昧にするものとしてではなく、むしろ理解しやすくする方法と見ていた。