「李元裕」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
1行目:
'''李元裕'''(り げんゆう、生年不詳 - [[665年]])は、[[中国]]の[[唐]]の高祖[[李淵]]の十七男。母は崔嬪。
 
[[631年]]、鄶王に封ぜられた。[[637年]]、鄧王に改封され、実封八百戸を受けた。鄧州・梁州・黄州の[[刺史]]を歴任した。学問を好み、論理学をよく談じ、典籤の[[盧照鄰]]と親しい付き合いをした。[[649年]]、実封千二百戸まで加増された。[[高宗 (唐)|高宗]]のとき、寿州・襄州刺史を経て、兗州[[都督]]となった。[[665年]]、世を去ると、[[司徒]]・[[益州]]大都督の位を追贈され、[[献陵]]に陪葬された。[[諡]]を康といった。
 
子がなく、江王[[李元祥]]の子の広平公李炅が後を継いだ。
 
 
 
== 伝記資料 ==
11 ⟶ 9行目:
* 『[[新唐書]]』巻七十九 列伝第四「鄧王元裕伝」
 
[[Category:唐人物皇族|けんゆう]]
[[Category:665年没|りけんゆう]]