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: 水上と同じく陸上も離発着可能となる水陸両用機の一種として、軽飛行機の下部にエアクッションを付けた[[ホバークラフト]]機が試作されたことがある。1963年から[[ベル・エアクラフト]]は独自にエアクッション機の研究を始め、最終的には[[米空軍]]や[[カナダ]]政府をも巻きこんだ一大プロジェクトとなった。だが、着陸の際に陸上でブレーキをかけられないという欠点などのため実用化されなかった。
; 水上スキー
: 水上機の[[降着装置]]は、フロート、艇体ともに浮力保持のため大きな体積が求められ、陸上機の着陸脚のように機体に引き込むことは通常できない。そのため水上機の超音速ジェット機化を計画した[[米海軍]]と[[コンベア]]は、試作水上ジェット戦闘機[[コンベア]]・[[XF2Y-1 (航空機)|シーダート]]に引き込み式の水上スキーを履かせた。シーダートは水上機として初めて音速を超えたが、計画そのものは失敗した。([[シーダートXF2Y-1 (航空機)]]の項参照)
: また、引き込み式ではないが、シュナイダーレーサーとして計画された[[ピアッジョP.7]]も水上スキーを搭載したレシプロ機であった。静止時は胴体を艇体として半分水に浸かって浮いているのはシーダートと同じだが、水中翼もかねた水上スキーによって主翼とプロペラが水面から離れるまでは、機体後部のスクリューによって推力を得ていた。これも抗力低下と速度向上を狙っていたが、シーダート同様に失敗している。
 
==歴史==
[[Image:Fabre 1910LaCanardPhotograph.jpggif|250px|right|thumb|世界最初の水上機イドロアエロプラン]]
===誕生===
飛行機を水上から飛ばすというアイデアは、[[ライト兄弟]]以後数年もたたないうちに様々なところで思い付かれていたらしい。1905年の[[ガブリエル・ヴォアザン|ボアザン]]の水上グライダーの離水実験等を経て、最初に動力飛行で水面から離水したのは、アンリ・ファーブル([[:en:Henri Fabre|Henri Fabre]])の'''イドロアエロプラン'''(''Hydro-aéroplane'' )である。
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その理由としては、大型で重量がかさんでも、水上という無限に近い滑走距離を持ってすれば離水できた事、仮に洋上飛行中にトラブルが起きても、水上機ならば着水して最悪の事態は避けられると考えられた事にある。これらは大型機であるという事から、飛行艇にほぼ限られる。またこれには、当時はまだ大型飛行機の着陸の衝撃に耐えられるだけの降着装置が製造できず、機体下部全体に荷重を分散させる飛行艇のみが大型化可能であったことも関係している。
12発のエンジンを持ち建造当時世界最大の航空機だった[[ドルニエ Do X]]はその種の大型旅客飛行艇としては初の物だったが問題点が多く、大西洋を往復して見せたにもかかわらずどこからも注文をもらえないままに終わってしまった。しかしそのあとを継いで次々に製作された[[ボーイング314]]、[[マーチン M130|マーチンM-130]]、[[ショート・エンパイア]]といった大型旅客飛行艇は非常に成功した機体となり、世界の空を駆け巡った。
 
[[画像:Curtiss Racer NASA GPN-2000-001310.jpg|thumb|right|300px|1925年度[[シュナイダー・トロフィー・レース|シュナイダーカップ]]優勝の[[カーチス R3C-2|カーチスR3C-2]]と[[ジミー・ドーリットル|J.ドーリットル中尉]]。映画『[[紅の豚]]』登場のライバル機のモデルはこの機体]]
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しかしこれらの大鑑巨砲主義に付随したような運用は、[[レーダー]]の発達と[[艦載機]]による超遠距離攻撃の確立によって次第に時代遅れの物になっていった。
 
一方、哨戒任務としての大型水上機の役割は大戦終期まで重要性を保ったままだった。これらの機体には前述のショート・エンパイアを軍用に改造したイギリスの[[ショート サンダーランド|ショート・サンダーランド]]飛行艇、アメリカの[[PBY (航空機)|PBY カタリナ]]飛行艇、日本の[[二式飛行艇|二式大艇]]などがある。潜水艦を探して洋上を長距離飛行する対潜哨戒機としての役割には、飛行艇はもってこいだったのである。
 
====水上戦闘機====
第1次世界大戦からしばらくは全盛を誇った水上戦闘機という機種はこのころ既にほとんど消滅していた。しかしこの絶滅危惧種をあえてこの時代に復活させた軍があった。第2次大戦の各国軍中、唯一水上戦闘機部隊を運用していた[[大日本帝国海軍|旧日本海軍]]である。日本海軍は、[[九五式水上偵察機]]が中国軍のアメリカ製戦闘機を撃墜した戦訓から、水上機による空戦の有効性を感じ取った。そして南洋諸島へ進軍する際、飛行場が作れないような小島や、飛行場が整備されるまでの駐留部隊機として水上飛行機が有効であると考えた。そこで十五試水上戦闘機の開発を[[川西航空機]]に命じ、完成までの場つなぎとして[[零式艦上戦闘機|零戦]]を水上機に改造した[[二式水上戦闘機]]を製作した。
 
緒戦ではそれなりの活躍をした[[二式水上戦闘機]]ではあったが、戦局の推移にともない活躍の場を追われ、十五試水上戦闘機が[[強風 (戦闘機)|強風]]として完成した頃には水上戦闘機の出番はすでに無くなっていた。余談ではあるが、この[[強風 (戦闘機)|強風]]はのちに陸上機に改造されて日本海軍最後の傑作機[[紫電改]]の母体となっている。
 
====潜水艦搭載機====
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[[二式大艇]]の技術を受け継いだ[[新明和工業]]の[[US-1]]は、世界最高水準の救難飛行艇であり、海難救助のみならず、飛行場のない離島での急病人移送などにも使われている。
 
[[Image:BerievPBY BeCatalina 200 rvb 2188 17airtanker.jpg|200px|thumb|right|消火デモンストレーション中のカタエフBe-200]]
====消防飛行艇====
最近注目を集めている飛行艇の用法として、大規模火災の消火がある。すなわち、山火事などの現場近くの海面・湖面に着水し、機内タンクに取水して再離水、現場上空にて放水するのである。
 
[[PBY (航空機)|PBY カタリナ]]など旧来の飛行艇を改造する例も多いが、ロシアの[[Be-200 (航空機)|ベリエフBe-200]]などは最新式の双発ジェット飛行艇であり、消防飛行艇としての能力も高い。
 
====エクラノプラン====