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YuTanaka (会話 | 投稿記録)
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m 第二次世界大戦|
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これが今日の教科科目制の原型となっていった。
 
[[1945年]]、[[第二次世界大戦|第2次世界大戦]]に敗戦すると[[学校教育法]]が施行され、[[1947年]]に試案という形で[[学習指導要領]]が発表された。そこでは、教科は、社会の要求を考えた教育の目標に達するための多面的な内容をその性質によって分類し、それで幾つかのまとまりを作ったものと定義していた。このときは、小学校では特に科目という概念は用いられなかったが、中学校では教育体系の一部が完全に整備されなかったのですべてを教科ではなく「科目」とし、と高等学校の社会、数学、理科、実業(農業、工業、商業、水産、家庭で構成)では数個の科目で教科を構成する形が用いられた。
 
[[1951年]]には学習指導要領が改訂され、教科は、個人生活、家庭生活および社会生活、経済生活および職業生活などの側面を持つ一般目標の到達を分担するものであって、各方面にわたる学習経験を組織し、計画的、組織的に学習せしめるための組織であると再定義とした。このとき、小学校には改正前と同様に科目は設けられず、中学校では科目を整理して教科となった。高等学校では、いずれかの教科にすべての科目が属するという形で設けられた。